【ゆるボ】”落ちつく”って、なんでしょね。in 2018

(注釈:ゆるく募集することを”ゆるぼ”なら、ゆるくボヤくことはニュアンス向上の事由から”ゆるボ”とさせてください。)

拝啓 ゆるボ。

経てして、世の中の”落ちつく”ってなんなんでしょう。

ここ最近、”そろそろ落ちつかないとね”と、

ことあるごとにこの言葉に出会うことが増えました。

確かに周りから見ると

カンボジアという国で日々を夢中に生きていることが不安定&不確定要素があって

綱渡りしているように見えるのかもしれなくて、

その生き方は続かないから地平にしっかり足の平つけ歩こうよね

というニュアンスであることや

私のことを想って言ってくれていることは分かります。

仮にそれが”落ちつく”の定義であったとして、

とはいえ転じて脳裏によぎるのは、

『果たしてそれで、これからを生き延びられるのかな』という、

一種の不安と焦り。

だってだってだって、

10年前では考えられなかった様々な変化にすでについていくのが必死だし、

そんな21世紀・産業革命の変遷の中で4代目女将として生まれ育ち、

宿泊業がこれからどのように生き延びていかなくてはいけないかとか、

私の代で潰したくないとか、

おかっぱなりにいろんな葛藤がある中で、

『自らをまだ見ぬ環境に置く事で得られる今世の処世術があらば!』

って、鼻息荒く思ってしまうもん。。。

むしろ”落ちつく”の定義って人それぞれだし

落ちつくことが否!と言っているわけではなく、

そもそも私自身が突進型の猪タイプであることも

思考の成り立ちに相当関与していますが、

何が言いたいかというと

世の中の大半が”正義”と思う価値観がそこにあったとしても

私は自らの核心に近い、答えのない確信に嘘をつかずに向き合っていきたいな。

ってことかな。はい。

今日ね、リンダ グラットン著のLIFE SHIFT(ライフシフト)という本を読み直していて、

あるフレーズで、頭上から冷水を浴びたような気分になりました。

「これからの変わり続ける世の中で、あなたがロールモデルになる生き方をしなさい」

理想を求め、迷走を重ね、むしろ同じところを行ったりきたりしていたけれど

理想は追い求めるものではなく、きっと自分で作り出すものなのだ

その逆説の思考で、これからも生きていきたいです。

GQ6A4810

ああ、またこうして強くなっていくけれど、

いろいろ大丈夫かなあ、私…。

(´・_・`)