先日、おかげさまで30歳を迎えた私です。
気づけば、アメージングを卒業し、
日本に本帰国してから4ヶ月が経ちました。
👉退職のご報告ブログ
2018年12月〜2019年2月にかけて3ヶ月、
『20代の棚卸し』と称し動き、本当に多くの気づきを得ました。
行き詰まるたびに立ち返ったのは、
“私の幸せの源泉はどこだっけ?”という問い。
👉その時に書いたブログはこちら
で、この度、
その棚卸しキャンペーンを2月に終了し、
3月からまた再始動。
この3ヶ月で経験して来たことをブログに認めておきたいな、と
筆を握るならぬキーボードに手をかざし
自分のために、記録します。
(再始動についての言及はまた後ほど🙈)
こんなことしました、な“didリスト”
did1:異文化に触れる
did2:人生の軸を振り返る
did3:自己と向き合う
did1:異文化に“触れる”
訪れた国は
台湾、香港、ボツワナ、ザンビア、南アフリカ、
そしてカンボジアの6ヶ国、8都市。
特に“#20代ラスト旅”と題して
初めて足を踏み入れたアフリカ大陸や
カンボジアの再訪は思い出深く、
アフリカでは特に、今まで見たことのない
無形のものから有形のものまでを
シャワーのように浴び、感じました。

人類の誕生の地、アフリカ大陸。
思い出深いのは、電気も水も、
もちろん電波環境さえもままならない村で
根を張って生きる親友、TOMOMIとの時間や、
スクンバ村・カズングラ村での日々。



アフリカは、私が幼い時に映像を通して観た
遥か遠い異国そのままに、
夕方になると往復14キロの道程を
水流に水を汲みに出かけるシーンを目の当たりにしたり、
(往復14キロを、水7キロを頭に乗せて毎日)、
桶に水を汲んで洗濯したり、


彼らの主食”シマ”を左手でいただいたり。

練り物にした彼らの主食、”シマ”。
左手でいただきます。
何よりも記憶に刻まれたのは、
アフリカの人々の笑いのツボの浅さ。
会話の二言目にはひいひい言いながら
大笑いし会話を続ける
(こちらは何が面白かったのか
見当がつかない笑)、
ハツラツでカラッとしたその様は、
まさにアフリカの大地に降り注ぐ太陽のようだと感じては、
その度に私の
一つ一つの小さい悩みが吹き飛んでいくような
おまじないをかけてもらったような、
そんな気分になりました。

ボツワナのサファリでは、
“生きる”ことだけに
シンプルに向き合う動物たちと触れ合い、


世界遺産、”ビクトリアの滝”では
地球の底から湧き出るエネルギーを浴び、


南アフリカでは
ため息の出るような
瑞々しさと美しさに映えるワイナリーで
美味しいワインを体にごくごく注入。




カンボジアに5年半住んでいたとはいえ、
今まで味わったことのないような
ものすごい量のカルチャーショックを
滝のように浴び、
その根底にあるのは、
彼らの『ただただ、生きる』という人生観。
晴れの日も、雨の日も、日々を、息する。
アフリカの人々も、動物も、
砂漠にそびえる大木も、
全てがそう言っていたような気がしています。


6カ国、8都市を旅して気づいたこと。

それは、
変わらず私は私だってことと、
働くことはやっぱり楽しかったんだってこと。
20代は、
旅をすることを「自分探し」と同義だとして
遥か遠い地を旅を何度も何度も旅しました。
だけれど、
自分の内面に
画期的な変化があった訳じゃないし、
旅の途中で
自分探しの向こう側の解答が
落ちていた訳ではありませんでした。
だけどこの#20代ラスト旅を終えて、
ふと東京のビル街の隙間から見える空を眺めては
アフリカの村の子供達が大きい青空の下で
裸足で駆け回っていた姿を想像するし、
美味しいご飯を食べては、
「あの彼女がこれを食べたら、喜ぶだろうなあ」
って
思い馳せます。
それが私に変化をもたらしたかというと、
そうなのかもしれないし、
そうじゃないのかもしれない。
けれど、いつか社会に大きく貢献できる
そんな自分が未来に存在するとしたら、
その時には必ず、
私は、
アフリカ大陸で生きる人々の幸せも共に願う。
そのための、未来へ一歩踏み出す勇気を、
私はたくさんもらったのだと思います。
そしてそう感じながら、
「ああ、早く働きたいなあ、
みんなを喜ばせることができる
価値を生み出したいなあ」と、
素直に思うことができたのだから、
やっぱり私は3ヶ月の小休止ができて本当によかった、
上質な反動を溜め込めたな、そう思います。
長くなりましたので、次に続こう。
my secret asia

毎年書いてます。バースデーブログ。